過去記事「さすがに心が折れるわ」
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このセリフを言われた日と同日

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椅子から歩行器に移ってトイレまで移動し便座に腰掛け、また立ち上がるくらいのことはできるようになっていた。
それならトイレの一連の動作くらい介助なしでできるだろうに、そういうところにプライドは無いんだろうか不思議だ。


2へつづく↓
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前回の「父は南京生まれ」にコメントありがとうございました。
ご家族の貴重な、そして恐ろしい戦争体験について詳しく書いてくださった皆さまありがとうございました。私が子供の頃は心を体に負った傷が癒えないままの人々も多く、そのほとんどの人たちが黙って亡くなっていったのかなあと思います。戦火にまみれず豊かさとか、生き甲斐とか、夢だとか。そういうものを追うことができる時代がこれからも続いてほしいです。若かった祖父が「遺言」を書いた当時は終戦前、日本の戦況が悪化の一途である頃ではないかと思うのですが、息子の将来には明るいものがあると予感しているような気配がして少し不思議であり、ぜひ長生きしてほしかったなあと思いました。