今これを書いているテキサス時間はまだ8月15日。
「父は南京生まれ」シリーズ
よかったら1話目からどうぞ
今回こちらから

資料として貴重ったって別に家族内で見るだけじゃああれなんで。
せっかく祖母の希望に反し燃やさず世に遺ることになった戦中戦後の様子がわかる絵葉書や手紙は、我がファミリーの血を引く最後のメンバーである私がブログで世に出そう。
今年紹介するのはこの祖父が祖母に残した「遺言」

遺言
一、国もとに帰り老母に孝養を尽くせられたきこと
一、○○(父の名)将来の志望については本人の素質と希望を考慮し定められたきこと
一、生命保険金は貴殿の所有たるべきこと
昭和十九年六月十日 孝吉
キヨ殿
この「遺言」はまだ戦時中の日付け。祖父は兵隊で戦死したのではなく、戦後病死した。
終戦前に南京から日本に帰ることができたが、それでも助からなかった
三十代前半の若かった祖父は、赤ん坊の父の成長を見ることができないという覚悟でこれを書いたと思われる。
世界中の多くの人々の暮らしと、人生と、命を翻弄し飲み込んでいった巨大な戦争だった。
現在タリバンが再び台頭してアメリカのニュースも大騒ぎをしている。
ところで現在のアフガニスタンのコロナワクチンフル接種率はまだ0.6%だそうだ。
えっとこれはその…意外と大丈夫なもんだねえ…ってこと?
2022年に続きを描きました↓
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遺言
一、国もとに帰り老母に孝養を尽くせられたきこと
一、○○(父の名)将来の志望については本人の素質と希望を考慮し定められたきこと
一、生命保険金は貴殿の所有たるべきこと
昭和十九年六月十日 孝吉
キヨ殿
この「遺言」はまだ戦時中の日付け。祖父は兵隊で戦死したのではなく、戦後病死した。
終戦前に南京から日本に帰ることができたが、それでも助からなかった
三十代前半の若かった祖父は、赤ん坊の父の成長を見ることができないという覚悟でこれを書いたと思われる。
世界中の多くの人々の暮らしと、人生と、命を翻弄し飲み込んでいった巨大な戦争だった。
現在タリバンが再び台頭してアメリカのニュースも大騒ぎをしている。
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コメント
コメント一覧 (8)
世界中の様々な思惑がこんがらがっていて、何が本当で何が嘘かはこの先も明らかになることはないでしょう。
世界は欺瞞で満ちてますからね。
それでもこうやって家族のことを想う気持ちはいつの時代も同じなんだろうなあと思うと、感慨深いものがありますね。
カイエ
が
しました
私の今年82才の母は中国は満州生まれで、中国で亡くなった祖父は満州鉄道に勤めていたそうです。戦後の混乱時に祖父が亡くなり敗戦国民として子供4人引き連れ命からがら福岡まで船で引き揚げてきたそうです。カイエさんのお祖母ちゃんと同じく聞いても戦争や戦後の話はしてくれませんでした。一家の大黒柱を失くし戦後の食糧難、祖母の苦労は並大抵ではなかったと思います。
さて、寝不足の方は改善されつつありますか?私の夫も中々のツレ氏同様モラ体質の威張りんぼのかまってちゃんなので心より応援しておりますので、blogで憂さ晴らし思いっきりしてくださいね。長文失礼しました❗
カイエ
が
しました
お祖父さまの遺言書、簡潔な文章の中に家族が幸せであるようにという思いが込められていますね。
カイエ
が
しました
戦争が絡むと運の有り無しでもろに影響されますね。。
カイエ
が
しました
うちは父方も母方も東京の在なので、空襲の恐ろしさは小さい頃から聞いて育ちました。
アメリカさんが東京の屋根の性質を研究して作った焼夷弾のこと。
身近で見て逃げ惑った祖母達の話も幾度となく聞かされました。
直接に戦争を体験した世代が語り継げる時間もわずかになってきました。
カイエさん同様「聞いて育った」私たちが次世代へとつなぐ大切さを改めて思います。
最後に、カイエさんのお爺様、無念だったと思います。でもおばあ様とお父様が生き残って良かったです。そうして生き延びた人たちのおかげでいまの私たちがあるんですよね。
カイエ
が
しました
私の父方の祖父も満州から引き上げました。妊婦だった祖母は襲われ無いように大きなお腹を隠して坊主頭にし男性のフリをして船に乗ったそうです。
夫の父はまだ10代で前線で戦い撃たれた玉が体に残っています。
どちらも生きて帰っても戦争で心にも傷を負い、ものすごく荒れたと聞きました。
やっと還った夫や息子が出征前とは全然違う人格になっていたと。
家でも暴れ、手がつけられないこともあったと聞きました。
水木しげるさんの漫画でも描かれていたのですが、ほんとに恐ろしい。
戦争の体験を直接体験者から聞けなくなってきました。
決して遠いことでない、何かの間違いで起きるかもしれないと危機感を持っていることが大切にだと思いました。
カイエ
が
しました
カイエ
が
しました
私の祖母はおじいさんの話を一切教えてくれませんでした。
戦争の話も、それだけ辛い経験だったのだろうと今は思ってます。
数年前に祖父の妹さんから祖父の生前の写真を何枚か頂きました。軍服着て馬に乗ってる写真等でした。
我が家には祖父の写真1枚しか無かったので。
祖母が二人並んでる写真を持ってるだけで。
母が1才の時に祖父はマラリアで亡くなったと聞いてます。戦争に行った時にかかったのでしょうか。
辛くても話して欲しかったなぁ。
戦争は絶対に嫌です。
世界からなくなって欲しいですね。
カイエ
が
しました