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ワタクシ カイエの父は昭和18年(1943年)中華民国南京市で生まれた。




でも祖母は南京での暮らしの中、不安を感じ始めていたようだ。


※のちに、父と祖母が終戦1年くらい前に先に引揚げ、祖父はその後遅れて帰国したことがわかった

小学生の子供が楽しい思い出話を聞くように「ねえねえおばあちゃん!」と戦争の話を聞きたがってもそりゃ話す気にはならなかっただろうな。
祖母が新潟の父親に宛てたはがき


「御父さまお元気ですか。暑い暑い夏が過ぎてやっと一息という思いです。大した病気はしませんでしたけど一週間くらいは半病人で暮らしました。今はもう気候も好くなったしとても元気です。
お盆にはお母さまや秀夫ちゃん幸ちゃん達がいろいろやって賑やかでしたでしょう。思い出して居りました。手紙を書く元気もありませんでした。
宏ちゃんはとても元気なお便りを下されました。
南京は日一日と内地のようなキンチョウブリがみえます。
では又お便り待って居ります。
御元気でお暮し下さいませ。」
いつ書いたはがきだろう。消印の日付が読めなくて残念。
帰国も戦時中だったので命がけだった。
その時のエピソードもいつかまた。もしかして来年の終戦記念日にでも。
つづき 2020年に描きました↓
父が生き延びたからワタシたちは旅行も行けた。
(過去記事)

「いざ台北」(2016年5月1日)
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コメント
コメント一覧 (8)
思い出はデジタルにしてこざっぱりと生活しましょうとは言われますが、直筆で書かれて時を経たものはそれだけで価値があると思いました。
カイエ
が
しました
私の父は昭和24年生まれなので、カイエさんのお父様より少し下の戦後世代です。
私の亡くなった祖母は日本生まれですが、戦時中日本海軍(当時は帝国海軍かな)に勤務していました。もちろん軍人ではなく、天文を扱う部署で日の出や日の入りの時刻、戦地の明るさなど、攻撃に適した時間帯を算出するような仕事をしていたそうです。すげーキャリアウーマン…。
カイエさんに祖母の思い出を漫画にしてもらいたいなあなんて思ってしまいました。厳しい状況の中、女子っぽいほっこりしたエピソードもあって、聞いていた私は少しそれに救われたりしました。
カイエ
が
しました
好んで同胞を出し抜こうとした人なんていなかったはずです。
それに、生き延びて子孫を残すことも日本人としての立派な任務です。
戦争を経験していない私はそんなきれいごとを言ってしまいますが、
実際に戦火をくぐり抜けた方々には、
簡単に言葉にできない複雑な気持ちがあったのだろうなぁ。
カイエ
が
しました
父は疎開していたそうです。私が子供の頃は話してくれなかったけど、今なら話してくれるかも。カイエさんのブログを読んで、今度父に会った時にじっくり話を聞いてみたいと思いました。
カイエ
が
しました
そうですね。この紙に向かいペンを走らせた若い日の祖父母の姿を思い浮かべました。今年はお盆シーズンに帰ったので父母からもいろんな話を聞くことができました。
その時は普通の日常を書いたつもりの手紙や日記もずっと後になると歴史的な資料になったり家族のことをもっとよく知る貴重な手がかりになることもあるんだなと思いました。
カイエ
が
しました
なんと。すばらしい経歴のおばあさまだったんですね。当時の軍事に関わる重要な任務に若い女性も働いていたとは知りませんでした。いったいどれほどの人が記憶していることでしょうか。
おばあさまのエピソードは、ぜひhoukiさんがいろいろ漫画や文字に起こしたらいいと思いますよ。お孫さんの目と手を通してあたたかい血の通った記録になると思います。ブログや出版物で発表したらおしえてくださいね!(*^^*)
カイエ
が
しました
本当にそうですね。
残っていても命が危ない。日本に戻っても(その道中でも)どのみち命を落とすかもしれない。極限の状況で究極の選択を大勢の人たちが迫られました。
どうにか無事帰国し、終戦後まもなく祖父は病気で亡くなるので父は祖父と過ごした記憶を持たずに成長するのですが、安心して暮らせる社会で息子が育つところを見られず残念だったなあと思います。
カイエ
が
しました
多くの人にとって戦争経験は楽しい思い出ではなかったし、口をつぐんだまま消えていった記憶が数えきれないほどあるんだろうと思うし、ご本人たちはきっとそれでいいと思っていたのだろうと。
お父さまは少年期と青年期の瑞々しい感性で戦後の復興や高度成長期を通ってこられた世代です。きっとご自分の中で消化、昇華された歴史観をお持ちではないでしょうか。興味深いファミリーの歴史が聞かれるといいですね。
カイエ
が
しました