テキサスロデオ(2)からのつづき
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周りを見ると畜産農家のファミリーがそれぞれのブースで連れてきた牛の世話などをしていた。
家畜の飼育といつか送り出す時の気持ち。いったいどんな風に折り合いをつけているんだろう。
ワタシには動物と関わる一切の仕事ができそうにないというのは随分昔から分かっていた。
子供の頃から、ひとつひとつの命に自分の精神がぜんぶ無防備に持っていかれて本当にしんどい思いをしてきたからだ。

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現地ではあまり正視できずサッと写真だけ撮って通り過ぎていたが
この記事を上げる前に拡大してよく見たらこの少年と牛との深い絆が分かる思い出の写真が何枚も貼ってあった。牛には名前もある。
でもペットじゃない。暖かい寝床で家族に見守られて寿命を全うすることはない。

他のブースにもそれぞれ牛と一緒に名前や受賞歴?資格証?などが誇らしげに展示されていた。

スーパーで冷たくなって売られてる肉は、それともたまのごちそうの高いステーキは、少し前まで誰かにとても大切に育てられて人と心を通わせた動物の体なのかもしれない。
今でも肉はおいしいと思うしベジタリアンにはなれそうにないが、あのスーパーで売っている切り身が木になる果実か何かだったらどんなにいいだろうと思うことはある。
するとそこで「植物だって命」と言う人もいるんだけど。そりゃ「生命」という意味で異論はないよ。けど捕食者を誘い込み敢えて食べられたり、株分けすることで子孫を拡散する手法を選んだ植物はやっぱり動物とは体に感じる痛みの度合いが全く違うから、これはまた話の次元が別になるんじゃないかなと思うんだ。

牛さんのお話は、これでおしまい。

「テキサスロデオ(終)」へつづく

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