数時間前に飛び込んできた祖母の突然の訃報。(祖母はマンガに登場したことはありません)
数日前、私の年末年始の単身日本帰省が急に決まっていた。毎日イライラ&忙しい中もそれを励みにがんばろうって思っていた。

昨夜はツレ氏の長女タンの誕生祝いで見た目も華やかなエビの押し寿司をメインに振る舞い楽しい時間を過ごした。あとは明日のクリスマス、伝統的なデンマーク料理をみんなで食べたら翌朝の便で日本へ。

実家に着くのは26日夜。
翌朝には祖母の見舞いに行くつもりだった。
でももう会って話したり一緒に食事することは叶わない。
私が到着するのは会うはずだった祖母が骨になってしまった後だ。

今回は本当に突然決まった帰省。
年が明けたらわが家は引っ越しに向かって動き出し、ツレ氏両親も2月から4月一杯滞在するので「そんな後までなんて待てないよ!」とやや揉め気味に話し合った結果今しかない、となりハイシーズンながらも少し安くなる25日の便をツレ氏が取ってくれたばかりだった。
元々年内に帰省の予定が無かったので日本の友人にクリスマスカードも送ったばかり。帰ってからびっくりさせようと思いまだほとんどの友人に連絡していなかった。

なんでこんな身内のことを…と思われるかもしれないが、
いつも思ったことをベラベラ並べるスタイルのこのブログを見に来て下さる方に、やっぱりぎこちない形で更新が止まったりして心配をおかけするといけないので(もちろん私なんぞ別に誰も全然アレなんですけど)一応こちらにに報告だけさせてもらいます。本当ならこれからにぎやかな内容のブログが続くはずだったのです。

普段はオカルトとか心霊話とか大好きなのに、いざ身内を失うと全然そんなことが信じられない。
信じられないというか、例えば「魂は永遠にあってね…」というようなことが真実だとしても「だから何だ」なのだ。「質量保存の法則」と同じくらいにしか思えない。自分にとって「おばあちゃん」だったものは有機物と無機物に分解され、分子レベルではこの世から消滅することは無いだろうけれど、それはもう自分にとっても「おばあちゃん」ではない。いくら「魂が~」と言われても五感を総動員してもつかめないなら分子レベルのそれと同じことだ。
祖母の存在も、人格も、共有した記憶も、体温のある皮膚も無くなってしまうことが自分にとっての死であり、絶対的な、圧倒的な喪失。だからこそ悲しいのだ。

実は先週初めにも実家の高齢猫が体調を崩したちまち弱って死んでしまった。
最後に電話したときは大きな声で鳴く猫の声を聞くことと名前を呼ぶ私の声を受話器から聞いてもらうことができた。ほんの少しでも。ほんの少しでもいいから生きている間に交流して私のことをその小さな脳に思い出してほしかった。せめてそれが叶ったのはよかった。

このエピソードは事実なのかどうかわからないが手話で会話ができるゴリラが「死とは苦労のない穴に落ちる」と答えたとかどうとか。真偽はともかく死とはその通りなんじゃないかって思う。それでいいんだ、とも。

私にとっては、何事も生きている間のことが全て。もうすぐ。あともう少しで会えるはずだった。笑いあって、手を握りたかった。もう一度時間と記憶を共有したかった。できると思っていた。
さようならおばあちゃん。ありがとう。

すみませんコメントくださっても返信ができるかどうかわかりません。

数日したらまたいつもの調子でマンガブログを更新すると思います。

どうぞまた見に来てください。
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