続きマンガの途中ですが、今回は昨夜の出来事について

gay1-1
結婚間近のカップルが、それぞれ同性の友人同士で最後のハメを外したパーティをする、というアメリカの習慣がある。


gay1-2
バスみたいな大きい車の上のお立ち台で踊るゲイたち!写真いっぱい撮ったな~(20年前)

昨夜のパレード ↓
gay1-3
デモといっても抗議デモ的なムードではなくお祭りとしての楽し気な行進。もちろんドラッグクイーン(ニューハーフ?)たちの派手な行進もアリ!


gay1-4
パレード参加者がじゃんじゃんまくネックレスや景品を見物人はみんな熱狂して取り合い、身に着ける。

昔は奇抜なパフォーマンスで面白可笑しく振る舞うゲイの人々が先陣を切り(そもそもGeyという単語は陽気な、楽しげなという意味だった)その存在が人々の関心を集め、勇気づけられた人々が少しずつカムアウトし、声を上げるようになり、時間をかけて多数派の人々からの嫌悪や偏見を取り払ってきた。
だから「ゲイパレードがある!」と聞いて色モノ扱いされてしまう(ワタシみたいになんかスゴイ派手なパフォーマンスを期待してしまうみたいな)のはその時の名残だが、LGBTというのは普通の市民生活を送る人々が圧倒的に多いわけだ。

高齢のパレ―ド参加者を見て思う。
おそらく自分の性的マイノリティを自覚しながらも異性と結婚し子供たちを育て上げた人も、「それは自分のアイデンティティと合致しない」という違和感にずっと悩みながら生きてきたんだろうか。
「夫(妻)と子供たちを愛して幸せだし、これでいいわ」とならなかったんだろうか。
現代ようやく偏見の目が緩んだ(といってもまだある)この時代で、カムアウトして堂々とそれを名乗って生きていけることこそが幸せなんだろうか。

それほど性別って大事なんだろうか…!

もしも自分の体が男性で生まれてきていたら、ホルモンの影響と社会の慣習で普通に女の子を好きになってたんじゃないかな?ていうくらい別にどっちでもいいやって思う自分はやっぱり彼らに寄り添えないんだろうか…

考えれば考えるほど答えの出ない問題なのだった。

ただ「同性愛は神に背く罪。あれは努力で治る病気」って言い張る人はアカン。
旧約聖書にはそう書いてあるが、ジーザス(新約)は一言もそんなこと言ってないぞ。なんならジーザスはな、旧約聖書で決まってるいろいろ厳しいルールを「意味ね。あほらし」と(は言ってないが)ガンガンチャラにしたエラい人なのだw
(でもワタシはキリシタンではありませんww)

高齢者の他にも地元の大きな会社、大学、団体からも宣伝を兼ねてゲイの人々が参列していたよ。
警察からも参加者が大勢いたしユダヤ人団体もあったな~


さいごに 市街地で数十万規模の人々が集まる大きなイベント、格好のテロの標的だ!という不安があったが最後まで何事もなく本当によかった。
いつも応援ありがとうございます。
にほんブログ村 漫画ブログ コミックエッセイへ
にほんブログ村

絵日記ランキング